次女が中学生の頃に伝えた格言

一に「環境」

二に「努力」

三、四がなくて

五に「才能」

 
私がこの格言を考えたのは、大学生の頃。
勉強、スポーツ、習い事・・・など、自分の経験や周りの事例から実感したことを表現しました。
 ら
人は生まれる場所や時代を選ぶことができません。
どんなに優れた「才能」を持っていても、それを発揮できる「環境」がなければ、その「才能」は埋もれたまま。
「努力」する余地も無し・・・

最近、よく耳にする「親ガチャ」という言葉。
現代の我が国では、家庭環境(≒親)の影響はあまりに大きい。
 
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勉強でも、スポーツでも、少しやっただけで「できへんな~。才能ないな~。」などと言う子どもがいます(大人でもいますが)。
 
でも、「才能」の有無を言う前に、どれだけ「努力」したのか?
相応の「努力」なしに「才能」の有無は分からない!
と、思います。
 
「三、四がなくて」は、「三、四も努力」でもよいかもしれません。
 
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次女が中2か中3の頃、この格言を伝えたところ・・・
【次 女】なんか語呂いいな! これ考えたの誰?
【ビン父】お父さんや!
【次 女】え~、すごいやん。リズム良くてすぐ覚えられるなぁ。
【ビン父】いやいや、"語呂"とか"リズム"だけじゃなくて、意味を考えるんやで。一に「環境」は、たとえば、世界のある地域では戦争とか内戦で勉強したくてもできない子ども達が・・・(中略)
二に「努力」と五に「才能」は、ちょっと「努力」したぐらいで「才能」があるかないかなんて分からんやろ・・・(後略)
 
 
と、しばし説教めいた話に・・・
一応、次女はうなずきながら聞いてくれました。

自分は恵まれた「環境」にいるということは分かってほしい、と思っていました。

 が、「自分が恵まれた環境にいることに感謝しなさい!」とは言いません。
「そんなん分かってるわ!」と反発されるのが
オチ。

やはり、自分で気付くことが大事です。
 

【今日のひとこと】 "一に「環境」、二に「努力」、三・四がなくて、五に「才能」"